装具は内反尖足 ぶん回し歩行だから 必要?1

 今日河津さんが来た。思わず鍼の時寝ていた。自分一人の時さえ、ハッとすぐ目覚めるのに。正直、身体の不快感に瞬間に目覚めたと言うのが本当だった、今まで。
  今日は違った。そしてカウンセリングトーク、と自分が思っているのですが。何故、楽になった事を一瞬でも思えないのか。
『感覚の障害です。感覚とは何か・・・体が受けている刺激を理解できず、痛覚とか痺れとして脳がどうとらえてしまう(誤認)。麻痺患者を関わりだした駆け出しの頃、客で、痺れが出たと言われ、自分の技量の無さを痛感していたら、次に出た言葉は喜んでいた人の話を聞いた。そして、今、感じるかと。聞かれると、感じだす。『これが後遺症の実態です。』河津さんは言いきった。かもしれませよりも、この言いきりにふっと希望が湧いた。責任とかで無く、こういう言いきりをタイミングを見て言えることの凄さを感じた。

 訪問リハでオルトップの長いのを提案されて嬉しかったと思えばいいが、病院で、試しにと言うと、言下に、マサルさんには無理です。装具屋も、危ないから絶対無理で買い替えは金が掛ると。諦めて借りものから自分用に。
  リハ担当の医師が、内反ベルトは不要ではないかと言ったが、これがないと内反が出ると思うのでリハビリ出来ないと言う一言で。この時に内反と言う言葉を知り、自分には内反があり、これは装具無しでは将来も歩けないと恐怖と絶望だった。

 そして自分の装具を着けて、一キロ歩行、裏山階段50へと。何の達成感も無かった。補そう具がないと尖足でもう駄目だと諦めだった。そうやって、いろいろ自費リハビリと言うのを見つけ、宣伝を見る。これなら、嘘でも、補そう具無しで歩きたいと言う希望に対して、歩けますよと行って貰える、うそでもと。その中でコルクボードを見つけた。補そう具や歩行などのリハビリから抱える見えない後遺症の相談をしていた。
  絶対に無理だと思っていた、達成感の無さなど不快感の皮膚などが、実は、自分がその感覚を作り脳に送っていると言う指摘。それは充分分っていた。しかし、家内ではないが、よくこれほどの受け様も無い、脳の病気ですからで済むのを、河津さんは鍼など具体的な方法で納得させたり出来るなあと・・・・が、気付けばまた不快感と怯え。
  だが河津さんの客の人の痺れの感じ方やらを思い出し、何とかと・・思った。
訪問リハの担当者も本当によくやってくれる。重いので苦しんで、靴を履くよりオルトップと勧めてくれた。しかしあの時と思ったが、今日はいいことがあったじゃないかと言い聞かせる。さらに、河津さんにこの経緯を言うと、内反ベルトなど必要が無い、外してやりましょうと。あげく、杖だけでと。何とも不様できっと爪先がスコップのように床に突き刺さっていると言う姿が頭に浮かぶ。だが知らぬ間に歩いている。他の動画を見る。そんなに異常ではないと。嬉しいという気持ちが・・・が、また直ぐに顔や体への不快痺れが。だが実際に今日、河津さんと話してる時は無かった。

  良かったことを良かったと感じ、反芻し脳を宥める、そうだなと、どん底の自分に言い聞かせる。家内にもこうだったと言うと、もう何を言ってもしてもと絶望だったが、あなたがそう思ってくれたことが嬉しいと。
内反、オルトップへの憧れ、それすらも一過程だと言われたこと。良いことがあったと自分に言い聞かせる。

  私のような患者はもうリハビリの向かい合いも出来なかったろう。だが、長山弘と言うひとの記録には、精神的にも身体の状況にも似た所があり、この人が森山志朗という人に出会い立ち直っていくのを思い出した発狂しそうな肩の痛みとか精神的な鬱状態の中での森山さんとの出会いだった。コルクボード、ここに出会わなかったら、自分はリハビリなども遠い事となっていたろう。この状況とコルクボードの意義を、いつか自分が自分のことを受容出来たら、誰かに向かって言いたい。


はぁ・・・良かったと、メールの最終をみて 河津は ちょっと、ほっとしました(^_^;)

マサルさんとのシリーズは下記を↓↓

祝ケイシュク其の5

完全個人指導